今週から後半のプログラムが始まる。Medical Humanities Tutorial の第5回目である2週間後のテーマは medical history。Tutor のDr. ChoとDr. Kim には、私から〈第二次大戦中の医療史、特に戦時下日本の医療に関わるテーマを学びたい〉とお願いした。韓国ご出身のお二人にこのテーマをお願いすることにも、自分では少し頑張った気持ちでいる。Readingとして提案されたのは、当然、日本の731部隊の活動に関するもの。戦時中の医療研究の名目で行われた日本軍医療研究所における残虐行為の詳細を明らかにする努力の不十分さや、日本文化の持つ、それらの行為を安易に「水に流して」勝手に禊(みそぎ)をしてしまう Forgetfulnessが語られることが多い。もちろんそのような面を省察することが日本文化にとって必要なことかもしれない。医学史研究の実践としては、他者を蹂躙し傷つけた経験を忘れないように覚え続けるモニュメントやアーカイブを作ることの大切さなどが論じられる。韓国における「慰安婦」像の意味を評価する意見がある。そのような意味からすると、私は、野田正彰『戦争と罪責』(岩波書店、1998/2022)は現代日本人の必読書のように感じている。戦争中に関わった残虐行為について口にできずに高齢になった元兵士への精神科医による聞き取りの記録。野田は、自分の罪を悲しむことを許さない日本文化を明らかにしてゆく。そして、自らの過去を直視し悲しむことを通してのみ、赦しが得られると論ずる。
731部隊に関する歴史学研究では〈極東軍事裁判において731部隊による捕虜への人体実験に関する資料を米国軍があえて秘匿したこと〉が共に語られる。細菌兵器開発が731部隊の主目的であったため、軍事裁判で公に審理されるとその情報をソ連側も利用することができるようになることを恐れ、米国軍の「国家安全保障上」の判断。731部隊の活動の中心にいた石井四郎をはじめ研究者たちは、米国軍にのみ詳しい情報を提供することで訴追を免れた。部隊に所属した研究者の多くが戦後日本の医学教育や医療産業に就き、それなりの地位を築いたことは、1980年台の薬害エイズ事件の際にも多く語られた。731部隊の行為そのものに対する歴史学的な検証、そして倫理的な批判と同時に、非人道的な手段よって得られた医学的な知識を利用することが許されるのか、も医療倫理の大きな議論(Rihito Kimura, Hidden Medical War Crimes and the Emergence of Bioethics in Japan, in C. Kurihara et al. (eds.), Ethical Innovation for Global Health, https://doi.org/10.1007/978-981-99-6163-4_8)。米国が731部隊の情報をどのように用いたかの研究は、いまだ十分に行われていない。
第二次大戦後のニュールンベルグ軍事裁判では、ナチスドイツのユダヤ人収容所での医学研究の名目で行われた残虐行為が細かく明らかにされた。戦勝国による敗戦国への軍事裁判の法学上の議論もあると思うが、ここを起点に「ニュルンベルク綱領 The Nuremberg Code」とそれに続く「ヘルシンキ宣言 Declaration of Helsinki」に繋がる。
Readingの一つは Dark Medicine: Rationalizing Unethical Medical Research (Indiana University Press, 2007)という本からの論文。2人の編集者の1人は Susumu Shimazono 氏。指定された Frederick R. Dickinson の論文 Biohazard: Unit 731 in PostwarJapanese Politics of National “Forgetfulness” は、情報が秘匿されたために、ドイツのように事態解明が進まなかったことを前提に、戦後時間が経ってから日本のジャーナリズムがそのことをどう扱ったかを丁寧に紹介する。Forgetfulnessという表現は当たらないとする。本田勝一をはじめとするジャーナリスト、TBSやNHKの番組、また日本共産党の新聞『赤旗』や朝日新聞などが、戦後時間が経ってから少しずつ明らかにされた情報に注目し、大きな特集を組んだ歴史もある。ただ、日本国内の保守と革新の政治対立の中でそれらの議論が展開され、その要素が歴史研究に影響を与えたことも論じられる。
記述の中で、今村昌平監督の映画『カンゾー先生』への言及があったのが興味深い。坂口安吾の短編『肝臓先生』をベースにし、安吾の他の作品の要素も混ぜながら、今村昌平の世界が展開されている。満州での人体実験による研究に言及される。伊藤の関心はここで少し逸れる。それは、今村作品における「性」と「生」の扱い。この映画は確かに大人向け。優れた小説や映画は、この両者の分かち難い深い関係を上手に表現する。研究はそこへの言及は極めて苦手。医療人文学研究においてこの両者にどのような眼差しを向け、その深みに迫るのかが、大切に感じられる。医療関係の映画を組織的に観てゆくことを、一つのルーティーンにしてゆくことが必要かもしれない。
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伊藤高章 t.d.ito@sacra.or.jp