昨日、John Radcliffe Hospital での、医学部上級生向けの人文学のセミナー(3時間)に参加した。Advancing medical professionalism through humanities-based teaching 。主担当教員は多発性硬化症 multiple sclerosis を専門とする neurologist の Gina。70名ほどの医学性が10のグループに分かれて座り、小さなレクチャーとディスカッションの繰り返しで授業が進む。特徴は Expert Patient Tutors (EPTs) の参加。chronic neurological disease (multiple sclerosis, Parkinson’s and peripheral neuropathy) を抱えて人たちが、訓練を受けて、自分の病を語り、同時に学生たちのディスカッションに Feedback をする。患者の立場からの医学教育への参加である。
今回のテーマは “Character”。性格・性質・個性などと訳すことができる。カナダにあるIan O. Ihnatowycz Institute for Leadership, Ivey Business School が開発した Leader Character Framework <https://www.ivey.uwo.ca/leadership/research-resources/leader-character-framework/ > を、開発者自身が来て説明し、医学生各自の Character について考えさせる。セミナー中受講生に質問をメールで送り、受講生が主に携帯電話で入力し、カナダのコンピュータで解析され、その場で集計結果が提示される。Drive; Collaboration; Humanity; Humility; Integrity; Temperance; Justice; Accountability; Courage; Transcendence という10の性格が「判断 Judgement」 に影響する、というのが主なポイント。自分の中でそれぞれの強さを意識することが目指される。印象的だったのは、説明の簡潔さとディスカッションへの導入の速さ。私の感覚では、もっと説明しなければわからないだろう、というところを、どんどん進む。Oxfordの医学部生の頭の回転の速さを見せつけられた。
EPTs の医師との関わりの経験の語りや、Gina 自身や 同席するMayo Clinic の Neurologist の語りがあり、医師の Character について多面的に考えさせる。医師たちの語りでは、Sense of Powerlessness の問題や、若い医師たちが陥る「全てを知らなければならない」という思いへの取り組みなどが話題になり、Collaboration の大切さや Self-care が語られた。
セミナーの後、講師と話す機会があった。Myers-Briggs Type Indicator や Enneagramme と今回の Leader Character Framework との違いについて私が感じたことを確認した。MBTI や Enneagramme は、個人の生得的な気質(生涯大きく変わらないという前提)について語り自己理解を深めるが、Leader Character Framework は、「判断」に影響する 10の Characters のバランスは状況に応じて自分で変えることができる、とする。講師は、まさにそこがこれを学ぶ意味であり、自分の課題に応じて、またライフ・ステージにおいてそのバランスを意識することが大切だと説明してくれた。
次回のセミナーでは、Ariel が医学生とOxford 大学の Ashmolean Museum に行き、さまざまな「死の表象」について学ぶことになっている。
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ONHPのメンバーとの1月30日のセミナーの担当者は、著名な伝記作家である Professor Dame Hermaionie Lee。彼女の主著である 『Vergina Woolf 伝』を読んでいると、伝記(人生を語ること)について考えさせられる。Woolf 自身、多くの伝記を読み、自分自身についてもたくさん書き記し、作品も伝記的要素を持つ。しかしWoolfは、文字に表現する自分とリアルな自分自身とのギャップを感じながら生きていた。それが(彼女を自死にまで導く)苦しみでもあった。Lee は、そんな Woolf の伝記を書く。そして伝記とは何かを語る。
Lee の本を読みながら、ケアにおける患者のライフ・リビューの語りについて考えていた。また、語りの聞き書きをしている友人のことも。End of Life 期に、語ることを通して自分の人生の意味や流れを振り返る機会のある人たちは幸いだろう。また優れた聴き手がいることは何もにも替え難いケアだろう。それが書き記される喜びも大きいだろう。もちろん限られた時間の中で、その語り自体をテーマにまた語りを重ねる機会がもてないことが多いだろう。しかし、本当はWoolfのように、自分が語った自分とナマの自分との差を感じている語り手もいるのではないだろうか。
傾聴という時、私は Narrative Identity という考え方を大切にしている。しかし、Lee の本は、生き続けているその本人にとって、一度語られた自己が違和感、偏り感、等身(心)大でない感じ、窮屈さなどを与える可能性に気づかせてくれた。時間や状況が許すなら、もう一歩進んだ傾聴のスタイルを追ってみたい。人は、最期まで生きている。そして、その後も人によってさまざまに語られる。
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