Blog:医療人文学/ONHP 報告 #012 (240215)

OxfordにはProfessor of Shakespeare Studiesという職がある。日本には一人の歴史的人物研究のための大学教授職は無いだろう。英語圏におけるシェークスピアの特別な意味が思われる。火曜日13日のセミナーはその職にあるProf. Emma Smith。テーマは、シェークスピアの最後から2番目の作品『冬物語』。発表スライドが用意されてはいたものの、Emmaのセミナーは我々からの質問に応える形。シェークスピアの作品は全集初版本The First Folio (1623) に従って Comedies, Histories, Tragedies に分類される。『冬物語』は Tragedies が Comedies になる構成で Comedy とされる。当時の Comedy は、ダンテの『神曲 Divine Comedy』に代表されるように「めでたしめでたし」で終わる作品のこと。愉快な、という意味はない。Cohort の多くの関心は、シチリア王リオンティーズの描き方について。また、劇中の男女の役割について。リオンティーズは最後まで嫌な奴であり、蘇った妃ハーマイオニも娘パーディタとは幸せに暮らすだろうけれど王とは冷たい関係だろう、という理解。私の質問は、〈値しない者への贖い redmption of the undeserved〉というキリスト教神学の考え方の影響はなかったのか、そして〈そのような作品解釈は、シェークスピア理解と一貫性があるのか?〉というもの。前半の質問への Emma の答えは、神学思想の影響という考え方は興味深い。特に復活のテーマも含まれているので。後半については、シェークスピアの人物像や思想は、作品を通して理解する以外ないので、他との一貫性については語り得ない。アメリカ人の多い Cohort にとってもテキストの英語と取り組むのは大変だった様子。先週の後半より、WhatsApp 上のコミュニケーションでは、「3分でわかる〜」であったり現代語劇のYouTube の URL がやりとりされていた。そして、原(英)語で読むのと現代語で読むのとの芸術性の違いにつてもディスカッションがあった。「ここに日本語訳で読んだ者も居ま〜す。」

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今年の2月14日(水)は興味深い日。バレンタインデーと「灰の水曜 Ash Wednesday」が重なっていた。今後いつまたこのような日が来るのか⁉︎ お互いに赤い花やチョコレートをプレゼントし合う男女(に限らずカップル)が、ここオックスフォードにも溢れていた。結婚式もたくさんあった様子。我が cohortの多くは、夕食パーティーに集っていたはず。もう一つの過ごし方は、教会で Ash Wednesday に参加すること。私の選択は後者。陰暦で決まる復活祭(イースター)前日までの46日間から(キリストの復活を記念する主日である)日曜日6回を差し引いた40日を四旬節(L: quadraginta:40という意味)もしくは大斎節(Eng: lent)という。その初日に当たる水曜日が今年は2月14日。ちなみのその前日の火曜日をパンケーキディ(Shrove Tuesday / Pancake Tuesday)と呼ぶ。本来は水曜日から始まる禁欲と懺悔と改心の季節を前に告解をする日だが、民間では、卵や牛乳を使い切って慎ましい生活に備える日。転じて、Lent 前に大騒ぎをして楽しむ日。フランスでは Mardi Gras(Fat Tuesday)。リオのカーニバルの起源も同じ。Ash Wednesday の礼拝では額に灰で十字架を記す。その際の祈りの言葉は “Remember that you are dust, and to dust you shall return. Turn away from sin and be faithful to Christ.”  毎年、復活祭1週間前の日曜日(Palm Sunday)の礼拝で、人々がイエスのエルサレム入城を祝った棕櫚の葉を記念して「棕櫚の十字架」を配る典礼が行われる。その十字架を1年間大切にし Shrove Tuesday に教会に返し、燃やしてその Ash Wednesday の灰にする。今年はこれから3月31日のイースターまでが Lent。この期間、礼拝司式者の式服は、慎みの色である紫色。

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Prof. Bill Fulford に会って話す機会が得られた。元々は精神科医であるが、現在は大学の哲学科の教授。医師と患者の関係性の改善を目指し、Evidence-Based Medicine を補完するための Values-Based Practice を提唱し、The Collaborating Centre for Values-based Practice in Health and Social Care [ https://valuesbasedpractice.org  ]を設立した。あらかじめ私の ABCモデルの論文を送っておいたので、会ってすぐ、医師個人の values-based practice とそれぞれ専門性を持つHealthcare 専門職の Team の協働との違いについて話が始まった。Hubert Hermans の Dialogical Self Theory に関心があることを伝えると、Bill も共感してくれ、 教科書 Fulford KWM et al. (2012):  Essential Values-Based Practice: Clinical Stories Linking Science with People. Cambridge. に対して共著者の中からも医師や患者の Values を単純化しすぎているという批判があり、現在第2版を執筆中だとのこと。また Bill が Values-Based Practice は a new skills-based approach だとしていることから、その skills について話をした。 St Catherine’s College の(本来のSCRが工事中のため仮の)Senior Common Room でコーヒーを飲みながら話していたのだが、同じ部屋にいた現在のセンター所長で大学の外科教育統括部長の Ashok Honda に紹介してくれた。Bill は、Medical Humanities は重要な学問領域だが、臨床家には敷居が高過ぎるという印象を持っているとのこと。私自身も、MHに知的関心は呼び起こされるが、それが直接臨床には繋がらないという思いがあった。Ashokのような外科医がこのような考えの普及に関わるのが大切だと語る。もしかしたら Bill の活動の方が私の関心に近いのかもしれないとの思いが起こった。今後このセンターとの関係を構築できればと思う。

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空いた時間に Ashmolean Museum を訪ねそぞろ歩きをしていた。見つけた絵。Negative Capability という概念の発案者 John Keats (1795-1821) の墓石の絵。

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以下、毎回のお願い:バックグラウンド・リサーチが不十分なものも掲載します。限られた体験に基づく主観的な記述が中心となります。引用等はお控えください。また、このブログ記事は、学びの途上の記録であり、それぞれのテーマについて伊藤の最終的な見解でないこともご理解ください。Blogの中では個人名は、原則 First Name で記すことにしました。あくまでも伊藤の経験の呟きであり、相手について記述する意図はありません。

伊藤高章 t.d.ito@sacra.or.jp

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