Rt Revd Rowan Williams による Bampton Lecture 2024。今週と来週2コマずつ4回のレクチャー。テーマはsolodarity。カトリックの大切な教説である面もあるが、Williams 師は、ドイツ告白教会の『バルメン宣言(正式には:「ドイツ福音主義教会の現状に対する神学的宣言(1934)」』、神学者ボンヘッファー Dietrich Bonhoeffer の思想、 そしてフランスの哲学者 ヴェイユ Simone Weilに言及しつつ、Solidarityとcommunitarianism; common good; empathy などとを対比させる。現実社会における“shared vulnerability” “performative solidrity” について語る。Empathy については、本質的に不可知な他者の内面を自分の枠組みで捉えようとする(“colonization”)危険があると訴える。その表現は、富樫公一の立場につながる。全く同感。次回は、Solidarityの現代社会における意味を探る。Bampton Lecture は 1780年以降 Oxford 大学に続いている神学の公開講座。他に有名な神学公開講座としては、Edinburgh大学の Gifford Lecture がある(2013年講師はWilliams 師)。Rowan Williams 師は、英国教会の元カンタベリー大主教 The Archbishop of Cantabury (第104代、在位2002~2012年)。イギリス国教会の首長は英国宗教改革(「首長令 Act of Supremacy 1534」https://www.parliament.uk/about/living-heritage/transformingsociety/private-lives/religion/collections/common-prayer/act-of-supremacy/ )で英国国王もしくは女王と定まっているが、そのもとでの教会の最高位聖職者が The Archbishop of Cantabury。 現在では世界中に広がる英国教会に連なる教会 The Anglican Communion(聖公会)のシンボリックな長。「シンボリックな」と記したのは、聖公会には世界的な組織は存在せず、それぞれの管区 Provice(多くの場合それぞれの国の聖公会) が、それぞれの神学的・教会論的に独立した存在。聖公会管区の代表が一同に集うのがランベス会議 The Lambeth Conference。カンタベリー大主教としてのウィリアムス師は、地域、文化、社会経済状況の異なる世界の Anglican Communion が共有できる信仰的・教会論的立場を模索した。現在ウィリアムス師は、英国枢密院 Privy Council メンバー、Fellow of the British Academy 等、英国を代表する知識人。Bampton Lecture 2024は、Oxford大学教会 St Mary the Virginのホームページから視聴できる https://www.universitychurch.ox.ac.uk/content/bampton-lectures 。
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社会で一応の仕事を成し終えた ONHP 参加者 cohort が次の人生を歩むときに必要な「良い人生とは?」という問いが、先週(第6週目)からのセミナーの大きな単元。Cohort は皆、ここに至るまでに、持てる力を発揮し与えられた機会を大切にしてそれなりの成果を上げてきた。そのために顧みないできたこともたくさんある。立ち止まり、それらを振り返り次を考えるというプログラムの構成。今週の課題図書は、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』8章・9章。そして、アレクサンダー・ネハマスAexander Nehamasの On Friendship。セミナーのテーマは Freindship。先週は人文学的視点、今回は関係性がテーマ。社会的責任を一応終えた人生にとって大切なのはPhilia(友愛)である、という一つの視点。『二コマコス倫理学』において展開される3つの友情の定義は、その後の西欧思想に大きな影響を与えた。『100分で名著』の解説がハンディ。ネハマスは西欧哲学倫理学の展開の中でこの Freindship は個人の倫理としては大切だけれども、共同体形成の論理としては弱いと論ずる。特に、特定の個人に向けられた Philia の重要性を相対化し、それを乗り越えたところに Agapé(無条件の神の愛)を定立させたのがキリスト教倫理だとする。さらにこの倫理を相対化する動きとしてのポストモダンの視点がある。実は、この日の午前中の Bampton Lecture と重なり合うところが多いと感じた。Williams 師が語る “shared vulnerability” “performative solidrity” に繋がる。私は、今週のセミナーのテーマには違和感を持った。特に人生の終盤には友人がとても大切で、その交わりの豊かさをどのように取り入れるかという前提があるように思えた。しかし、獲得を通して自己実現を図るこのような西欧文化の姿勢と私自身の感覚との隔たりとを感じざるを得なかった。こちらの思いとは異なる、こちらとは別の人格の思いをよりどころにする考え方そのものに、乗り切れない感じを持つ。むしろ、(東洋人としては?)solitude(孤独、一人)に向けての削ぎ落としが魅力的に感じる。この発言を聞いて、この日の話題提供者であったRhodes House の理事長でこのプログラムの共同主催者である Elizabeth Kiss は、別な視点の提示をした私に謝意を示してくれた上で、実はアリストテレスも Contemplative Life の重要性を説いていると補ってくれた。前の週 Cohort の自主セミナーで〈どのような最期を迎えたいか〉という話題になったときに、私は「心の深いところに、皆に感謝・お詫び・お別れを告げて、片道航空券を買ってインドに消えたい思いがある」と答えた。アリストテレスに関しては、その息子と言われているニコマコスという存在とその母に関心がある。また、4世紀にキリスト教がローマの国教になってから、ギリシャ思想が西ローマに引き継がれることがなく主にイスラーム思想の中に引き継がれたこと、そして「12世紀のルネサンス」と言われる西欧思想の大転換機に、イスラーム経由でアリストテレスをはじめとするギリシャ思想が回復されたこと(そしてThomas Aquinas がそれを基礎にカトリック神学を体系化したこと)に関心がある。
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ここからはBlogのテーマとは関わりのない伊藤の思い出話。カンタベリー大主教時代の Rawan Willimas 師は2009年に日本を公式訪問された。その際桃山学院創立125周年式典にも参加された。当時同大学の国際センター委員の伊藤が受け入れの実務担当。桃山学院が交流している海外の大学から学長にもご参列いただき記念礼拝を行なった。またそれぞれの大学から学生代表を招き、当時インドの Jadavpur大学教授 Joyashree Roy 先生(United Nations Intergovernmental Panel on Climate Change (IPCC) の2007年報告書執筆者:同年IPCCは元米国副大統領Al Gore 氏と共にノーベル平和賞を受賞) の指導で、環境問題に関する1週間のセミナーを開催した。
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以下、毎回のお願い:バックグラウンド・リサーチが不十分なものも掲載します。限られた体験に基づく主観的な記述が中心となります。引用等はお控えください。また、このブログ記事は、学びの途上の記録であり、それぞれのテーマについて伊藤の最終的な見解でないこともご理解ください。Blogの中では個人名は、原則 First Name で記すことにしました。あくまでも伊藤の経験の呟きであり、相手について記述する意図はありません。
伊藤高章 t.d.ito@sacra.or.jp